私は電機メーカーに勤めるサラリーマンだった。
中央線に朝晩乗って通勤していた。
吊革にぶら下がって、所在なく窓の外を投げ目ながら
通勤していた。
それでも、吊革につかまることができるほど空いていればまだよかった。
椅子に座ることができると言ったことはほとんどなかった。
時々思うことがあった。
「もし、この電車の込み具合が半分だったら
たまには座席に座ることもできるだろうし、
吊革につかまって、本を読むこともできるのに!」
こうした、思いは年々、年を取るほど強くなっていった。若い人にはこらえ性がある。忍耐強いのだ。年を取ると我慢する精神力が無くなってしまう。
やがて定年を迎えた。あの満員電車が懐かしいとは思わない。電車で思い出すのは休日出勤した時に空いていて座席に座った私の目の前に当時の将棋の名人だった大山康晴さんが座ったことだ。大山さんのかくしゃくとした姿に思わず見とれてしまった。テレビの将棋対決で見ていた大山さんの印象とはまるで違っていた。将棋の名人になるような人は顔の造作がスマートでなくても、丸いごつい眼鏡をかけていても実物はスマートそのもので、立派で人を引き付けるものをもっているのだと感心したことだった。私には忘れられない思い出だ。
空いた電車のなかだからこそ、大山さんの姿を完全に見ることができたのだと思う。
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